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wind-troupe/風組’s blog

斬新な形で宝塚にハマり、普通とはなんだか違う角度から宝塚を楽しむ竜宮子のブログ★小学校・野球、中学・バスケ、高校・ソフトボール、社会人・バレー/ボード/空手。車・バイクも好き。という、宝塚の「た」の字もない人生からの劇的な出会い★日々宝塚♪時々ただのアホアホ日記♪

お婆ちゃん

数日間のご無沙汰でした。
宮子です。

祖母が亡くなりまして。

23日の早朝、イトコから連絡が来て病院へ向かいました。残念ながら最期には間に合いませんでしたが、でもお婆ちゃんはまだ暖かかったです。

老衰。眠るように息を引き取ったとお医者様。
91歳でした。

お婆ちゃんは戦争でお兄さんを2人亡くしていて、さらにはお父さんも過労で亡くしています。お父さんやお兄さんを亡くし兄弟の1番上になり、必死で生き抜いたからこそ強さを持っている人。それと併せて常に自分の事より人の事が優先という思いやり。
心から尊敬できて大好きな大好きなお婆ちゃん。

母方の祖母なんですけど、家から近いので小学生の時は週1、それ以降は月1くらいの頻度で会っていました。
一緒に山に入って山菜を採ったり畑で野菜を収穫したり。

大病の手術も乗り越え、叔母が自宅での介護をしていましたが、痴呆が進むと共に介護も難しくなり、また、何度か救急車を呼ぶこともあったので病院の施設で暮らすようになりました。
もちろん私達に何かをしてくれることができなくなり、会う機会も激減しました。

入院は2年半前から。亡くなる直前までは、お見舞いはに半年に1回くらい。お見舞いに行っても話せるわけじゃない。寝ていたら起こせないし。
でも、もっとお見舞いに行っておけば良かったと、余命宣告を受けてから後悔しました。

どこに居ようと話せなくて私のことがわからなくなっても、同じ空の下で「お婆ちゃんが生きている」、私達はその安心感に包まれて生きてきました。
これは、近所のお婆ちゃんも言っていました。
「ふみちゃがいてくれるって安心してたけど、逝っちゃったんだねぇ。」
と。

いるだけでいい。
いつかそんな人になれたらなぁ。

お婆ちゃんが何かをしてくれるから好きなわけではない。とにかく、お婆ちゃんが好きだった。お婆ちゃんが生きている、それだけで良かった。会えなくても。

そんな風に思える人が私のお婆ちゃんだったこと、誇りに思います。
だから、顔を見に来てくださった親戚や近所の方が涙しながら最後の言葉をかけてくれました。

91歳という大往生。そして、親戚や近所の方も昨年くらいから別れの心の準備ができていたので、こんなにも皆に泣いてもらえると思っていなくて、それが孫として凄く嬉しかったし誇りでもあるし、また、それがお婆ちゃんの人柄・人生を物語っていました。
やっぱり私のお婆ちゃんは最高だったんだ、と。

そんなお婆ちゃんに恥じない生き方をしなくてはなりません。お婆ちゃんが誇れるような孫にならなくてはね。

和尚様もこう教えて下さいました。
「残された私達にできることは2つ。まずはご冥福を祈ること。もう1つは、しっかりと生きていくこと。」
普段聞けない和尚様のお言葉は、私達の心に染み渡り清らかにしてくれました。仏教ってイイネ!

そして、お葬式だから家族や親戚が全員集合。結婚式は遠かったり持病があると欠席してしまいますが、お葬式は最後だから出席率が良い。
勢揃いしたのなんて何年ぶりだろうか… もしかしたらお爺ちゃんのお葬式以来かもしれない。
実は親戚でちょっと揉めたりもあるんですが、それでもやっぱり全員集合はいいもんだと思いました。
お婆ちゃんが集めてくれました。

まだお婆ちゃんの死を受け止めきれてない私です。悲しくて寂しくて、いつでも涙が流れる状態なんですけど、不思議と実感がなくて。
目を閉じると手拭いをかぶって畑仕事をしているお婆ちゃんが見える。いつでも、本当にいつでも笑顔で迎えてくれたお婆ちゃんが見える。自慢のお婆ちゃんです。


ということで、お婆ちゃんとの別れは本当に寂しいけれど、でも心が暖かくなった別れでした。


もう少し続く